糸島サイクリング7(生松天神社、刀伊の入寇、狛犬、御朱印、レンタサイクル、福岡) [240217博多・糸島、福岡]
2024年2月17日−18日博多・糸島、福岡
2月中旬に、午前中の仕事が終わってから博多・糸島、福岡に行って来ました。
糸島サイクリング6(展望所、芥屋の大門公園、姫島、黒磯海岸、桂島、芥屋物産直売所、御朱印貰えず、志摩イチゴハウス、デコポン、レンタサイクル、福岡): https://yoshy-papa5.blog.ss-blog.jp/2024-06-24 の続きです。
2/17 JAL323 東京(羽田) 15:05発 福岡 17:05着
2/18 JAL322クラスJ 福岡 17:00発 東京(羽田) 18:35着
合計 27,500 マイル + 960 円
往路は、クラスJが売り切れで、普通シートにしたのですが選択できるシートがクラスJシートだけしかありませんでした。
気になって、問い合わせました。
「2月17日ご利用のJAL323便は、クラスJシートを普通席として販売しております。 現時点*では普通席・15列目以降はすべて座席指定済みのため5列目から11列目までのクラスJシートのみ空席があり、座席指定いただけます。 ご指定いただいておりますクラスJの座席は、普通席の航空券にてご利用いただけますため、どうぞご安心ください。」
ホテルは近畿日本ツーリストで予約しました。
コース・企画名称:宿泊 福岡県への旅
機関・プラン名称:ホテルモンテエルマーナ福岡 【早21】ダブル 1泊につき 朝食付
予約人員:おとな1名
お支払金額:14,520円
他に宿泊税(20000円未満:市税150円・県税50円)。
糸島市観光協会: https://kanko-itoshima.jp/
レンタサイクル: https://kanko-itoshima.jp/rental-bicycle/
WNI
この日は、2月にしては気温が上がりそうで長袖のポロシャツだけで良さそうでしたが、朝は少し寒そうだったので、ジャンパーの袖を外してベストにして着ていましたがそれでも寒かったです。
生松天神社: https://oimatsutenjinja.com/
12:13電動レンタサイクルで引津湾沿いを西に走って生松天神社に向かいます。
防波堤の向こうが引津湾です。
12:15左の方に向かって生松天神社に来ました。
一の鳥居です。
12:16二の鳥居です。
階段を登ります。
階段を登ると本殿が見えました。
12:17水盆と水口です。
柄杓もあります。
12:18参拝します。
12:19
生松天神社
鎮座地 糸島市志摩久家二八一三番地
御祭神 菅原道真公(紅梅天神,老松天神も合せ祀るとする資料もある。「福岡県地理全誌」)
例祭日 一月一日(歳旦祭・厄鿆祈願祭)、四月十日(金毘羅大祭・祈念祭••摂社 金刀比羅宮)、七月十五日(潮井祭)、十月十七日(神事)、 十二月十五日(神事・大麻頒布祭)ほか、一月中旬(古札・正月飾り等焼納祈願祭)、四月四日(晴厄祈願祭)、九月一日(八朔祈願祭)、十月末(神立祭)、十一月中旬(七五三祈願祭)、十一月末(神待祭)、毎月一日,十五日(月次祭)
由緒 社伝に曰く「後一条天皇寛仁三年(一〇一九年)南蛮(刀伊)の海賊入寇し、若き男女を犯し旦つ金穀を奪取す、因って当神社を動請し、後退散を祈願し、弓矢を奉納す。今に十二月十五日たずの弓に白羽の矢を宮座当番より各三組を作り奉納す。これその前例に因るものなり。」とある。
住古は浦(久家地区)の南の海岸沿いに鎮座したが、江戸後期文政六年(一八二三年)現在地へ遷座される。
神宝に石玉ありといわれており、御神体を納めた箱の蓋に「享保壬子十七年(一七三二年)二月八日八大竜王磯取揚」との書があり、龍王宮、現綿積神社(船越竜王崎鎮座)前の磯から取上げ、納められたことがわかる。この御神体(神宝)のことは夙に世に知られ、江戸時代後期の福岡藩の著名な国学者、青柳種信の「筑前国続風土記拾遺」にも「色浅青にして形西瓜の如し。水に浸せば、光沢ありて鑑がむべし。」との記載 がある。
一説には漁夫が平戸の海中に光るものを見つけ、珍しきものなりとて持ち帰ったものともいう。(「同付録」 福岡藩士加藤一純著)。
神社名は「生松」と「老松」を交互によく変わっており、老松神社の扁額も幣殿に掲げてある。生松天神社→老松天神社→老松神社→生松天神社→老松神社→生松天神社(現在)・変遷の理由は不明
境内神社 金刀比羅宮、稲荷神社、猿田彦大神、恵比寿神社(二社)、秋葉神社等
※「刀伊」の襲来
「高麗」から蛮族の意味で「刀伊」と呼ばれていた部族で、女直又は女真というツングース系の剽悍な民族で、中国東北部黒電江(アムール川)下流域から沿海州一帯に勢力をもち、日本襲来の約一世紀後には指導者(完顔阿骨打)により統一国家を形成し、「遼」を滅ぼして「金」(「大 金」)を建国。「大金」が江戸時代初期に「明」を滅ぼして中国に進出大発展し、「清」を称し明治時代末まで続く。
この「刀伊」が海賊となって、平安時代末の寛仁三年三月二十八日(一〇一九年五月六日)突如として対馬を襲い、これに続く十六日間、壱岐、筑前の怡土・志摩・早良、肥前の松浦の諸郡は、五〇艘の兵船に余って襲来した謎の賊徒によって劫略の限りを尽くされることになる。(悪夢の十六日といわれる。)
その風体はすこぶる異様で、多食・多飲、滅多やたらに牛・馬を切り食らい、犬を屠り、成人男女は「追ひ取」って船に乗せ、老幼男女はことごとく切り殺したという。太宰府権師(次官)藤原隆家の指揮下に藤原助高・大蔵種材以下の俯官や文室忠光・多治久明・大神守宮・財部弘延・源知ほか各地の多数の住人等が一致協力して奮戦し、敵撃退にこれ努めたといわれる。(大蔵種材は鎮西原田氏の遠祖である。)
賊は、四月十一日(一〇一九年五月二十日)の未明、船越浦に船三〇艘を以って現れたが、我が方は前もって財部弘延等を派遣して待ち伏せさせていたので、その日の夕刻上陸しようとする敵を散々やっつけ、賊はたまりかねて肥前の方に逃れていった。
日本側の必死の反撃及び五月中旬になり高麗の兵船の追撃が激しくなったこともあって、肥前の松浦を最後として、「刀伊」は忽然として姿を 消した。後に残されたものは、死者総計約三七〇名、捕虜総計約一二八〇名(二七〇名は後日日本に送還されたという。牛馬損害約三九〇頭という惨害であったという。(小学館「大系日本の歴史4王朝の時代」糸島新聞社「戦国系島史」より)
Googleレンズを使用して不十分なところを修正したものです。
この刀伊の入寇の話を読んだ後、偶然にも「この世をば下 永井路子」でも、そのことについて書かれていました。
12:20狛犬です。
社務所というよりは、家の玄関に座って下さいと言われ、お茶をいただきました。
途中で、地元の方がいらっしゃいましたが、奥様に少し待っていて下さいと言われて外で待っているようでした。
御朱印を書き終わっていただいてからも、この先の神社のことなどをお話しいただきましたが、私も急いでいたこともあり、外に待っている方がいますよと切り上げました。^_^
朝食(ホテルモンテエルマーナ福岡): https://www.monte-hermana.jp/fukuoka/breakfast/
馳走や直 赤坂本店: https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40031943/
ウエスト うどん屋 前原店: https://tabelog.com/fukuoka/A4009/A400901/40035580/
ホテルモンテエルマーナ福岡: https://www.monte-hermana.jp/fukuoka/
糸島市マンホールふたのデザイン: https://www.city.itoshima.lg.jp/s029/20170213125102.html
大祖神社(たいそじんじゃ): https://seikenhouse.com/kinoie-naminoie/rekishi_taiso_jinjya/
芥屋の大門: https://kanko-itoshima.jp/spot/keyanooto/
特集:芥屋の大門 散策: https://kanko-itoshima.jp/event/itoshimatokusyu/
まだまだ続きます。
昨夜の体重は、68.5kg(目標は64kg台なのですが)。
昨夜から見たTVドラマは、EyeLoveYou(3/12)、正直不動産2(3/12)。
昨夜の風呂読書は、この世をば下 永井路子。
昨夜の酒は、赤ワインを1/4本(これで1本終了)と、
240626赤ワイン
ヱビス シトラスブランを1本(これで6本パックが終了)。
ヨッシーパパのきまぐれブログ: https://yoshy-papa.blog.ss-blog.jp/
ヨッシーパパのきまぐれブログpart2: https://yoshy-papa2.blog.ss-blog.jp/
ヨッシーパパのきまぐれブログpart3: https://yoshy-papa3.blog.ss-blog.jp/
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2月中旬に、午前中の仕事が終わってから博多・糸島、福岡に行って来ました。
糸島サイクリング6(展望所、芥屋の大門公園、姫島、黒磯海岸、桂島、芥屋物産直売所、御朱印貰えず、志摩イチゴハウス、デコポン、レンタサイクル、福岡): https://yoshy-papa5.blog.ss-blog.jp/2024-06-24 の続きです。
2/17 JAL323 東京(羽田) 15:05発 福岡 17:05着
2/18 JAL322クラスJ 福岡 17:00発 東京(羽田) 18:35着
合計 27,500 マイル + 960 円
往路は、クラスJが売り切れで、普通シートにしたのですが選択できるシートがクラスJシートだけしかありませんでした。
気になって、問い合わせました。
「2月17日ご利用のJAL323便は、クラスJシートを普通席として販売しております。 現時点*では普通席・15列目以降はすべて座席指定済みのため5列目から11列目までのクラスJシートのみ空席があり、座席指定いただけます。 ご指定いただいておりますクラスJの座席は、普通席の航空券にてご利用いただけますため、どうぞご安心ください。」
ホテルは近畿日本ツーリストで予約しました。
コース・企画名称:宿泊 福岡県への旅
機関・プラン名称:ホテルモンテエルマーナ福岡 【早21】ダブル 1泊につき 朝食付
予約人員:おとな1名
お支払金額:14,520円
他に宿泊税(20000円未満:市税150円・県税50円)。
糸島市観光協会: https://kanko-itoshima.jp/
レンタサイクル: https://kanko-itoshima.jp/rental-bicycle/
WNI
この日は、2月にしては気温が上がりそうで長袖のポロシャツだけで良さそうでしたが、朝は少し寒そうだったので、ジャンパーの袖を外してベストにして着ていましたがそれでも寒かったです。
生松天神社: https://oimatsutenjinja.com/
12:13電動レンタサイクルで引津湾沿いを西に走って生松天神社に向かいます。
防波堤の向こうが引津湾です。
12:15左の方に向かって生松天神社に来ました。
一の鳥居です。
12:16二の鳥居です。
階段を登ります。
階段を登ると本殿が見えました。
12:17水盆と水口です。
柄杓もあります。
12:18参拝します。
12:19
生松天神社
鎮座地 糸島市志摩久家二八一三番地
御祭神 菅原道真公(紅梅天神,老松天神も合せ祀るとする資料もある。「福岡県地理全誌」)
例祭日 一月一日(歳旦祭・厄鿆祈願祭)、四月十日(金毘羅大祭・祈念祭••摂社 金刀比羅宮)、七月十五日(潮井祭)、十月十七日(神事)、 十二月十五日(神事・大麻頒布祭)ほか、一月中旬(古札・正月飾り等焼納祈願祭)、四月四日(晴厄祈願祭)、九月一日(八朔祈願祭)、十月末(神立祭)、十一月中旬(七五三祈願祭)、十一月末(神待祭)、毎月一日,十五日(月次祭)
由緒 社伝に曰く「後一条天皇寛仁三年(一〇一九年)南蛮(刀伊)の海賊入寇し、若き男女を犯し旦つ金穀を奪取す、因って当神社を動請し、後退散を祈願し、弓矢を奉納す。今に十二月十五日たずの弓に白羽の矢を宮座当番より各三組を作り奉納す。これその前例に因るものなり。」とある。
住古は浦(久家地区)の南の海岸沿いに鎮座したが、江戸後期文政六年(一八二三年)現在地へ遷座される。
神宝に石玉ありといわれており、御神体を納めた箱の蓋に「享保壬子十七年(一七三二年)二月八日八大竜王磯取揚」との書があり、龍王宮、現綿積神社(船越竜王崎鎮座)前の磯から取上げ、納められたことがわかる。この御神体(神宝)のことは夙に世に知られ、江戸時代後期の福岡藩の著名な国学者、青柳種信の「筑前国続風土記拾遺」にも「色浅青にして形西瓜の如し。水に浸せば、光沢ありて鑑がむべし。」との記載 がある。
一説には漁夫が平戸の海中に光るものを見つけ、珍しきものなりとて持ち帰ったものともいう。(「同付録」 福岡藩士加藤一純著)。
神社名は「生松」と「老松」を交互によく変わっており、老松神社の扁額も幣殿に掲げてある。生松天神社→老松天神社→老松神社→生松天神社→老松神社→生松天神社(現在)・変遷の理由は不明
境内神社 金刀比羅宮、稲荷神社、猿田彦大神、恵比寿神社(二社)、秋葉神社等
※「刀伊」の襲来
「高麗」から蛮族の意味で「刀伊」と呼ばれていた部族で、女直又は女真というツングース系の剽悍な民族で、中国東北部黒電江(アムール川)下流域から沿海州一帯に勢力をもち、日本襲来の約一世紀後には指導者(完顔阿骨打)により統一国家を形成し、「遼」を滅ぼして「金」(「大 金」)を建国。「大金」が江戸時代初期に「明」を滅ぼして中国に進出大発展し、「清」を称し明治時代末まで続く。
この「刀伊」が海賊となって、平安時代末の寛仁三年三月二十八日(一〇一九年五月六日)突如として対馬を襲い、これに続く十六日間、壱岐、筑前の怡土・志摩・早良、肥前の松浦の諸郡は、五〇艘の兵船に余って襲来した謎の賊徒によって劫略の限りを尽くされることになる。(悪夢の十六日といわれる。)
その風体はすこぶる異様で、多食・多飲、滅多やたらに牛・馬を切り食らい、犬を屠り、成人男女は「追ひ取」って船に乗せ、老幼男女はことごとく切り殺したという。太宰府権師(次官)藤原隆家の指揮下に藤原助高・大蔵種材以下の俯官や文室忠光・多治久明・大神守宮・財部弘延・源知ほか各地の多数の住人等が一致協力して奮戦し、敵撃退にこれ努めたといわれる。(大蔵種材は鎮西原田氏の遠祖である。)
賊は、四月十一日(一〇一九年五月二十日)の未明、船越浦に船三〇艘を以って現れたが、我が方は前もって財部弘延等を派遣して待ち伏せさせていたので、その日の夕刻上陸しようとする敵を散々やっつけ、賊はたまりかねて肥前の方に逃れていった。
日本側の必死の反撃及び五月中旬になり高麗の兵船の追撃が激しくなったこともあって、肥前の松浦を最後として、「刀伊」は忽然として姿を 消した。後に残されたものは、死者総計約三七〇名、捕虜総計約一二八〇名(二七〇名は後日日本に送還されたという。牛馬損害約三九〇頭という惨害であったという。(小学館「大系日本の歴史4王朝の時代」糸島新聞社「戦国系島史」より)
Googleレンズを使用して不十分なところを修正したものです。
この刀伊の入寇の話を読んだ後、偶然にも「この世をば下 永井路子」でも、そのことについて書かれていました。
12:20狛犬です。
社務所というよりは、家の玄関に座って下さいと言われ、お茶をいただきました。
途中で、地元の方がいらっしゃいましたが、奥様に少し待っていて下さいと言われて外で待っているようでした。
御朱印を書き終わっていただいてからも、この先の神社のことなどをお話しいただきましたが、私も急いでいたこともあり、外に待っている方がいますよと切り上げました。^_^
朝食(ホテルモンテエルマーナ福岡): https://www.monte-hermana.jp/fukuoka/breakfast/
馳走や直 赤坂本店: https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40031943/
ウエスト うどん屋 前原店: https://tabelog.com/fukuoka/A4009/A400901/40035580/
ホテルモンテエルマーナ福岡: https://www.monte-hermana.jp/fukuoka/
糸島市マンホールふたのデザイン: https://www.city.itoshima.lg.jp/s029/20170213125102.html
大祖神社(たいそじんじゃ): https://seikenhouse.com/kinoie-naminoie/rekishi_taiso_jinjya/
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特集:芥屋の大門 散策: https://kanko-itoshima.jp/event/itoshimatokusyu/
まだまだ続きます。
昨夜の体重は、68.5kg(目標は64kg台なのですが)。
昨夜から見たTVドラマは、EyeLoveYou(3/12)、正直不動産2(3/12)。
昨夜の風呂読書は、この世をば下 永井路子。
昨夜の酒は、赤ワインを1/4本(これで1本終了)と、
240626赤ワイン
ヱビス シトラスブランを1本(これで6本パックが終了)。
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酒、酒、酒(2024.07) [酒]
240725赤ワイン
240520サッポロラガービール
240704白ワイン
240720赤ワイン
240513ヱビス ジューシーエール
240716赤ワイン
240613加賀の井 純米大吟醸 ひとつ火
240710赤ワイン
240303アイリッシュウイスキー パディー
240701赤ワイン
231014泡盛 残波
240225ジャパニーズウィスキー白州
240520サッポロラガービール
240704白ワイン
240720赤ワイン
240513ヱビス ジューシーエール
240716赤ワイン
240613加賀の井 純米大吟醸 ひとつ火
240710赤ワイン
240303アイリッシュウイスキー パディー
240701赤ワイン
231014泡盛 残波
240225ジャパニーズウィスキー白州